2025年04月21日
【体験記速報!】順天堂大学医学部新潟県地域枠選抜に合格した富士ゼミ生Y・T君(2浪)から合格体験記が届きました!

Y・T君(2浪)
逗子開成高校
「順天堂大学を目指すのが本気でないならやめろ」と先生に言われ、本気になれたこと。そして不甲斐ない自分から抜け出そうと本気で思ったことが成功の要因です。
現役時代に野球を最後までやっていた私は、なす術もなく医学部に落ち、高校の先生に紹介された富士学院に入った。当時の私は勉強に関して全くのゼロベースであり、そんな現状に焦っていたため、学院で真面目に勉強しようと誓った。そして、第一志望を順天堂大学に定め、「絶対合格する」と誓った。。
成績はぐんぐん上がり、七月の模試までには取ったこともないような偏差値が出るようになっていた。しかし、十一月ぐらいから「自分は合格できないのではないか」という不安と、これまでの疲れで勉強に手がつかなくなった。それでも「負けるものか」と勉強は続けたし、成績的にもどこか一校は受かるだろうとも思っていた。。
そんな状態で受験が始まり、北里大学の一次試験合格を勝ち取った。本当に嬉しかったし、安心もした。二次試験の手応えも悪くなく、補欠も多く回る学校だったので「やっと苦しかった浪人生活から抜け出せる」と思っていた。しかし、補欠番号は二八九番。回ってくる番号ではなかった。 今思うと、一浪目の私の敗因は一つ。「どこでもいいから合格したい」と思ってしまったことだ。つまり、第一志望の順天堂大学を諦め「どこか一校は合格できる」などと思った時点で、成績の上昇は止まってしまっていたのだ。。
三月頭から四月頭までは本当に辛かった。後期日程は本当にやる気が起きなかったし、予備校に行く気もなかった。私は意味もなく地元を歩き回り、浪人中に行けなかったゲーセンに行ったり、バッティングセンターに行ったり、ラーメンを食べたりした。しかし、何一つ楽しくなかった。。
その時期に、身内ではないが、ずっと私を可愛がってくれた父の病院の看護師の方たちが相次いでがんで亡くなった。通夜に出席した際、その方の父親から「頑張れって言ってたよ」と言われた。自分と一緒に働きたいと言ってくれていた方々に、自分の努力不足で、生きているうちに報告もできなかった自分の不甲斐なさに涙した。そのとき「絶対に合格してやる」という気持ちが再び湧き上がった。再度浪人するにあたり、父親にその心意気を伝えた。。
二浪目の私は、とにかく自己マネジメントに努めた。例えば「自分が合格できるか不安だ」と思えば、なぜそう思うのかを徹底的に分析し、それを勉強した。勉強に集中できていないと感じたら、それは無駄な時間だと切り上げて散歩に行くようにした。先生方とコミュニケーションを取り、自分の現状を把握した。教務の方々に自分の成績についてアドバイスをもらった。そして、帰る時間と来る時間を守り、寝る時間は十二時、起きる時間は六時と決め、睡眠時間をしっかり取るようにした。コンスタントに日々の勉強を続けることだけを意識した。それでも何度も辛い時があり、両親にはたくさんの迷惑をかけてしまったと思う。。
そうやって勉強していると、時間はあっという間に過ぎて、再び受験の季節がやってきた。正直なところ、本当に合格できるか不安だったが「自分にできることをきちんとやろう」とだけ思って試験を受け続けた。その結果、複数の大学に一次合格をいただけた。杏林大学から初めての二次試験合格通知が来たときは、飛び上がるほど嬉しかった。。
最終的に、私は第一志望であった順天堂大学からも二次試験合格をいただけた。そのとき、やっと長かった私の浪人生活が幕を下ろした。この成功の要因は二つある。一つは、二浪が決まったときに、「順天堂大学を目指す気が本気でないなら、目指すのをやめろ」と先生に言われ、「本気で順天堂大学を目指そう」と思えたこと。もう一つは、「不甲斐ない自分から抜け出そう」と本気で思ったことだった。。
富士学院には多くのサポートをしていただいた。過去の先輩方の成績の推移や面接の資料などを使った学習面のサポートだけにとどまらず、先生や教務の方々とのちょっとした会話でリラックスすることもできた。富士学院のおかげで、浪人生活にも少しの楽しみができた。また、先生から喝を入れてもらえたからこそ、最後まで戦い抜けた。本当に感謝している。 医学部を狙ってくる学生たちは、半端ではなく勉強ができる人物だらけだ。彼ら、彼女らに勝つためには、冗談ではなく死ぬ気で勉強しなければならないと思う。たとえ一年しかなくとも、決して追いつけない距離ではない。浪人中の不断の努力は、学力だけでなく、精神的にも成長を促してくれると思う。辛い時は、自分を応援してくれる人たちの顔や言葉を思い浮かべ、自分が第一志望の大学に通っている姿を想像すること。「なぜ自分が医師になりたいと思ったのか」を思い出すこと。追い込まれていると感じたら、周りの人を頼ったり、一度休んでみたりすることも大切だ。。
私からできるアドバイスはこれぐらいだが、医学部という大いなる壁に向かって頑張ってほしい。そして、できるならば、できるだけ大きな壁を目指し、超えてほしい。超えたときの喜びは、何にも代えがたいものである。これからも医師として辛いことはたくさんあるだろうが、浪人の経験と勝ち取った経験は、必ず私の役に立つだろう。。
最後に、学院で支えていただいた教務の方々と先生の皆さん、そして両親と応援してくれた皆さんに感謝したい。
成績はぐんぐん上がり、七月の模試までには取ったこともないような偏差値が出るようになっていた。しかし、十一月ぐらいから「自分は合格できないのではないか」という不安と、これまでの疲れで勉強に手がつかなくなった。それでも「負けるものか」と勉強は続けたし、成績的にもどこか一校は受かるだろうとも思っていた。。
そんな状態で受験が始まり、北里大学の一次試験合格を勝ち取った。本当に嬉しかったし、安心もした。二次試験の手応えも悪くなく、補欠も多く回る学校だったので「やっと苦しかった浪人生活から抜け出せる」と思っていた。しかし、補欠番号は二八九番。回ってくる番号ではなかった。 今思うと、一浪目の私の敗因は一つ。「どこでもいいから合格したい」と思ってしまったことだ。つまり、第一志望の順天堂大学を諦め「どこか一校は合格できる」などと思った時点で、成績の上昇は止まってしまっていたのだ。。
三月頭から四月頭までは本当に辛かった。後期日程は本当にやる気が起きなかったし、予備校に行く気もなかった。私は意味もなく地元を歩き回り、浪人中に行けなかったゲーセンに行ったり、バッティングセンターに行ったり、ラーメンを食べたりした。しかし、何一つ楽しくなかった。。
その時期に、身内ではないが、ずっと私を可愛がってくれた父の病院の看護師の方たちが相次いでがんで亡くなった。通夜に出席した際、その方の父親から「頑張れって言ってたよ」と言われた。自分と一緒に働きたいと言ってくれていた方々に、自分の努力不足で、生きているうちに報告もできなかった自分の不甲斐なさに涙した。そのとき「絶対に合格してやる」という気持ちが再び湧き上がった。再度浪人するにあたり、父親にその心意気を伝えた。。
二浪目の私は、とにかく自己マネジメントに努めた。例えば「自分が合格できるか不安だ」と思えば、なぜそう思うのかを徹底的に分析し、それを勉強した。勉強に集中できていないと感じたら、それは無駄な時間だと切り上げて散歩に行くようにした。先生方とコミュニケーションを取り、自分の現状を把握した。教務の方々に自分の成績についてアドバイスをもらった。そして、帰る時間と来る時間を守り、寝る時間は十二時、起きる時間は六時と決め、睡眠時間をしっかり取るようにした。コンスタントに日々の勉強を続けることだけを意識した。それでも何度も辛い時があり、両親にはたくさんの迷惑をかけてしまったと思う。。
そうやって勉強していると、時間はあっという間に過ぎて、再び受験の季節がやってきた。正直なところ、本当に合格できるか不安だったが「自分にできることをきちんとやろう」とだけ思って試験を受け続けた。その結果、複数の大学に一次合格をいただけた。杏林大学から初めての二次試験合格通知が来たときは、飛び上がるほど嬉しかった。。
最終的に、私は第一志望であった順天堂大学からも二次試験合格をいただけた。そのとき、やっと長かった私の浪人生活が幕を下ろした。この成功の要因は二つある。一つは、二浪が決まったときに、「順天堂大学を目指す気が本気でないなら、目指すのをやめろ」と先生に言われ、「本気で順天堂大学を目指そう」と思えたこと。もう一つは、「不甲斐ない自分から抜け出そう」と本気で思ったことだった。。
富士学院には多くのサポートをしていただいた。過去の先輩方の成績の推移や面接の資料などを使った学習面のサポートだけにとどまらず、先生や教務の方々とのちょっとした会話でリラックスすることもできた。富士学院のおかげで、浪人生活にも少しの楽しみができた。また、先生から喝を入れてもらえたからこそ、最後まで戦い抜けた。本当に感謝している。 医学部を狙ってくる学生たちは、半端ではなく勉強ができる人物だらけだ。彼ら、彼女らに勝つためには、冗談ではなく死ぬ気で勉強しなければならないと思う。たとえ一年しかなくとも、決して追いつけない距離ではない。浪人中の不断の努力は、学力だけでなく、精神的にも成長を促してくれると思う。辛い時は、自分を応援してくれる人たちの顔や言葉を思い浮かべ、自分が第一志望の大学に通っている姿を想像すること。「なぜ自分が医師になりたいと思ったのか」を思い出すこと。追い込まれていると感じたら、周りの人を頼ったり、一度休んでみたりすることも大切だ。。
私からできるアドバイスはこれぐらいだが、医学部という大いなる壁に向かって頑張ってほしい。そして、できるならば、できるだけ大きな壁を目指し、超えてほしい。超えたときの喜びは、何にも代えがたいものである。これからも医師として辛いことはたくさんあるだろうが、浪人の経験と勝ち取った経験は、必ず私の役に立つだろう。。
最後に、学院で支えていただいた教務の方々と先生の皆さん、そして両親と応援してくれた皆さんに感謝したい。
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